クリスティン・ジャック編 
『世界がぶつかる音がする―—サーバンツ物語』
永井みぎわ訳 
(四六判・三〇四頁・一三〇〇円〔税別〕・ヨベル)

書評:倉沢正則師
(くらさわ・まさのり=東京基督教大学特任教授、日本ローザンヌ委員長、日本国際飢餓対策機構理事)

本書は、アジアの都市部の貧しい人々と生活を共にし、彼らに仕えようとする人々の果敢な挑戦の物語である。彼らはただ、「イエス・キリストのように生きよう」と決心し生活した人々である。イエスが当時の貧しく、社会の片隅に追いやられている人々といつも共にいたように、「スラムの中に入り、共に生きることに徹する」サーバンツの人々の行動力と献身は、読者の生き方を十分に吟味させるものである。サーバンツとは、「アジアの貧しい地域に移り住んで支援活動等を実践しながら生活している、クリスチャンたちのネットワーク」(8頁)である。1982年からマニラのスラムで開始された、「貧しい人々に福音を伝える」働きは、やがてアジアの都市部に広がってゆく。

 本書は、サーバンツの働きの五つの宣教的な指針(受肉、コミュニティー、全人的であること、仕えること、シンプリシティー)が章立てとなり、各指針の意図しているところが語られ、続いて、それらの指針に基づいてどのような活動をし、また、実を結んできたのかを、それぞれのサーバンツが証言するという構成になっている。さらに、これらの活動から心身ともに疲れ果てないために、最終章では、「恵み、美しさ、お祝い、創造性、休息」という五つを大切にすることが謳われ、基本方針とバランスが取れるようにされている。この五つも、彼らの具体的な経験から学んだものとして、説得力を持って迫ってくる。彼らの働きのゴールは、都市部の貧しい人たちと彼らのコミュニティーが、キリストの力によって変革されることである。これまで多くのクリスチャンNGOが、世界の貧困と飢餓に向き合い、彼らの救援や保健衛生、教育支援や自立開発、環境保全等に携わってきているが、サーバンツの働きの指針は、貧しい人々と「共に生きる」ことに献身する中で、自ずと生まれてきたものと言えよう。今日、「包括的な宣教」が叫ばれる中で、彼らほど、まさに「草の根」的な活動を展開し、イエスの受肉と地上でのミニストリーを、現代世界で体現していると思われる。地道で持続可能な地域変革の働きがここにある。

 特に印象に残っているものを二つ挙げると、第一章「受肉」で、クリスティン・ジャックの「傷ついた癒し人—『受肉』について思うこと」の中で、孤児で夫婦喧嘩の絶えないデングとの出会いから、やがて「彼女の中にあったごつごつしたダイヤモンドの原石が、神さまの愛によって少しずつ滑らかに磨かれて行きました」(69頁)という神の働きが、「プログラム重視ではなく、人間関係の中から自然と生まれてくる」(71頁)というサーバンツの目指す働きを端的に言い当て、さらに、「サバットのように本当の苦しみを味わった人たちこそが、傷んでいる人たちに共感し手を差し伸べることができる」とし、「『傷ついた癒し人』とは、イエスがどういう方であるかを的確に表している」(70-71頁)と受肉の実相に迫っている。第三章「全人的であること」では、スラム地区の強制移転、女性蔑視、暴力、権力による家族離散、エイズや売春という苦境の中にいる人々に対するサーバンツの人たちの正義を求める過程は、「犠牲と苦しみを受け入れ、イエスの生き方を目指し、私たちが愛するようになった周りの人たちと生き方を共に」(119頁)するもので、彼らの立ち位置に強く心が揺さぶられる。教育、医療、食物、住居、衛生、法的権利が豊かに備えられている人々は、これらの与えられた贈り物を、不十分な人たちに分け与えるとき、「全人的になり」、豊かな人生を生きるようになるという主張(174-175頁)に、「全人的であること」とは、ともに生きる者同士に必要なことなのだと教えられる。

 サーバンツの働きは、彼らと関わった現地の人々が、イエスに出会い、その指針を受け入れ、その人々によって継続されてゆく。ここにこの働きの強みがある。「世界がぶつかる音がする」という題名は奇異に思うが、ぶつかることのない貧困の世界と富む世界が、イエスの足跡を辿る者たちによって、がっぷり四つとなり、そこに「力強い融合」が起こって世界が変わる(9頁)、そのような世界が今起こりつつあるのだと本書から知るのである。