20161024アルノ・グリューン著 村椿嘉信訳
『従順という心の病い―私たちはすでに従順になっている』

 なぜ自由競争において敗北させられている貧困者ほど、貧困者を抑圧するような新自由主義的な政策を掲げる政治家に票を入れるのか。

 なぜ重税と福祉の貧困に苦しむ当事者であるはずの有権者が、税を引き上げつつ福祉予算をカットする政権を維持させ、文句も言わずに唯々諾々と従うのか。

 なぜ最も生活が不安定で、自らが戦場に送られる可能性が最も高い若者が、右翼的で全体主義的であり軍備を拡大しようとする政権を喜んで支持するのか。

 なぜ極右的な人々がヘイト・クライムと密接に結びついているのか。また、なぜ不道徳で汚辱に満ちた政治家たちが殊更に道徳教育を推進しようとするのか。

 「役に立たない人間は殺されるべきだ」というような人間性の欠如した考え方が賞賛をもって受け入れられ、その考えに基づいた凶悪犯罪が、なぜ多くの支持者を得てしまうのか。

 このような現実を「恐ろしい」、しかし「わけがわからない」と不可思議に思う人は私だけではなかったはずです。

 この誰もがどう考えても不可解な日本人の行動を理解するのに有益な論考がこの書物です。

 著者によれば、この「従順」という心の病いは、幼少期に育ての親から与えられたものが根源にあります。そしてその背景には父権主義が存在します。

 従順を親から強要された子どもは、自分の本来の感情や要求を抑圧し、親の期待する自分を自分自身だと思い込み、やがて親を(特に支配的な父親を)自分自身と同一化するようになります。そして、抑圧し無視した自分自身を憎むべきものとして否定しようとします。この子どもはやがて大人になり、この嫌悪を他者に投影し、自由に生きようとする他者を貶め、見下すことができた時に、自律した生き方ができると錯覚するようになるのです。

 この心理の仕組みは、例えば虐待を受けながら育った子どもが、なぜ同じような虐待をする人と親密な関係になったりするのか、あるいは自分も虐待を行う大人になってしまうのかという、暴力の連鎖とも大きな関連があると思われます。暴力の連鎖は親子間だけで起こるのではなく、政治的な権力と市民の間でも繰り返されます。これはヒトラー政権下で明らかに目的化して行われたことであり、日本の現政権においても実践されつつあることです。

 国民の貧困を激しくさせ、福祉を悪化させ、徴兵への恐怖を与え、警察によって虐待的に取り扱い、結果として国民の家庭生活を虐待に満ちたものに追い込めば、ますます虐待に従順的になる次世代の国民を再生産することができるでしょう。

 著者はさらに、「従順は、人間を権威的な構造に結びつけ、心の奥深くに根を張っ て、「倫理観や共感を無効にする行動」を引き起こす固定剤である。〔中略〕従順な人間こそが、観念的になり、自分自身の行動に責任を感じなくなる。だからこそ〔中略〕歴史の中で、常に「従順」の名において残酷な犯罪が行われてきた」(p.92)と宣告します。

 私は教育現場で普段仕事をしていますが、近年「従順で無責任」な子どもが増えているという感触を得ています。命令や指示を与えれば従順に動きますが、責任は指示を出した教師にあると思っており、命令や指示がなければ動かないのです。常に命令や指示を待っており、命令や指示を出さない教師は無責任で無能だと判断するのです。

 恐ろしい世の中が既に始まっています。この子どもたちは自分たちが権力によって不当な支配を受けた時、それに極めて従順に従い、また命令が明確であればあるほど喜んで従うでしょう。自分で考え、自分の意見を言い、自分の判断で行動するということができなくなってしまった子どもたちは、将来的に国家の食い物にされてしまいます。しかも自ら進んで食い物にされに行くのです。

 この危うい状況を改めて認識し、分析する上で、この本は必読の書であると思います。

富田正樹(とみた・まさき=同志社香里中学校・高等学校聖書科主任)