『神の言はつながれてはいないII』評・根田祥一

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『神の言はつながれてはいないII』
ホーリネス弾圧記念同志会委員会著
(ヨベル、1,260円税込)  

20回を数えるホーリネス弾圧記念聖会の記録集。体験証言中心の第1集に対し、今回は5つの講演、2つの説教が収められた。戦責告白と和解・平和について関田寛雄氏(日本基督教団神奈川教区)、古代キリスト教と迫害について土井健司氏(関西学院大学神学部)、カトリックの殉教者について平林冬樹氏(カトリック司教協議会)と、講演は歴史的・教派的にも多彩。ホーリネスからは千代崎秀雄氏(日本ホーリネス教団)の「弾圧の歴史的文脈」(95年)、亀谷荘司氏(日本福音教会連合)の「日本の近代化とホーリネス弾圧」(02年)が遺言の趣を放つ。特に長年、日本キリスト教連合会や日本宗教連盟の理事長を務め宗教法人法「改正」でも行政と渡り合ってきた亀谷氏の言葉は、預言者の警告を思わせる。

「天皇とキリスト教が信じている神さまと相容れないものであるにも関わらず、教会は、クリスチャンは、敬虔な信仰生活をすることと、忠良なる大日本帝国臣民であることに何の疑問も持たないで生活していた」と亀谷氏は指摘する。それをおかしいと言ってくれたのはクリスチャンではなく、弾圧した検事だった、と。クリスチャンにとって弾圧が「思いがけない時に来た災い」だったのは、教会が真剣に自分の信仰の対象であるイエス・キリスト以外のものを峻別できなかったからだという。キリストの再臨を信じることは、必然的に天皇の統治権が廃止されることにつながる。その重大性に検事は気づいた。だが教会は気づかずに、「敬虔なクリスチャン、忠良な臣民」を自認し続けていた。

「日本の教会もクリスチャンも、その信仰の問題をギリギリまで突っ込んで考えて対応するということはしなかった。…戦う用意をしていなかった」と亀谷氏は嘆く。その嘆きは、日の丸・君が代の押し付けや有事法制化など「生臭い匂いがどんどんしているのに、知ろうとしない」現在の教会にも向かう。「胸を張ってイエスさまを信じて行こうと思ったら、今も信教の自由を一生懸命になって守らなければいけないのです。信教の自由を守って行かなければ、…いつか来た道がまた来たらお前は負けるぞ、と戒めています」

 (評・根田祥一=本紙編集長)