ヨハネのキリスト理解は、実に深いことを感じる!(小野寺 功先生)  

・・・新しく教示を受けたことは、「あなたたちは、人の子が上げられたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが自分勝手には何もせず、ただ父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう」(ヨハネ8・28)という言葉の意味についてです。  
わたしの聖書には、この箇所に「?」の書き込みがあり、若い頃から意味不明でした。

「上げたときに」が「十字架に付けて殺した時に」と先生の補足があり、ここの決定的意味が初めて明らかになりました。「なるほど」とすっきり理解でき、イエスの言葉の生死を賭した無二の真実性に深く心を打たれました。

齋藤先生の実存を賭した証言により、一つ難題が解明できました。

一般にキリスト教は「信」の宗教と言われていますが、「覚」(聖霊の働き)なしには、信仰の深みの真実が理解できず、律法どまりになることがよく了解できました。

それにしても、ヨハネのキリスト理解は、実に深いということを感じます。

齋藤孝志[著]  
小野寺 功(清泉女子大学名誉教授)
道・真理・命 2
―ヨハネによる福音書に徹して聴く(7〜12章)

YOBEL新書021 
新書判・272頁
定価1,000円+税
ISBN978-4-907486-01-3