20200518_01大和昌平[著] 牧師の読み解く般若心経

新書判・312 頁・本体 1,100 円 + 税
ISBN978-4-909871-17-6 C0216

 

 

 


とても分かり易い仏教の入門書であり、優れたキリスト教入門書
評:村上英智氏(真言宗智山派 医王山安楽寺住職)

私は真言宗智山派(総本山は京都にある智積院)に属する寺院の住職です。真言宗の経典はたいへん多く根本経典の「大日経」「 金剛頂経」、常用(毎日読む)経典の「理趣経」、節をつけて読む「声明(しょうみょう)」、梵字(インドの字)で書かれた「真言」などです。しかし、般若心経はご多分にもれず、本宗派でも最も読まれる経典の一つであります。四国八十八カ所の遍路でも本堂と大師堂の前では、必ずと言っていいほど般若心経を読む声が聞こえます。大和昌平先生がおっしゃるように日本人が最も良く唱えるお経であろうと思います。

さて、たいへん失礼な話ですが、大和昌平先生は全く初めて知る方で、当然のことながらその著作に接したことはありませんでした。この度、先生の『牧師の読み解く般若心経』を手にしたとき、難しい文章なのかな、と不安を感じたのは確かです。実際に読み進むと、平易な文章で難解な用語もわかりやすく実例を挙げながら説明がされているので、理解しやすいものでした。また文章には丁寧さと優しさが十分に感じ取れ、読者の理解が進むよう配慮されているのがわかります。文章は良く著者の人柄をあらわすことが多いのですが、この本を通して大和先生の誠意あるお人柄と優しい口調が聞こえてくるようで、たいへん親しみやすい本だと感じました。私は、住職を拝命してまだ五年、いわゆる駆け出しの住職です。また、僧侶としての研鑽も不十分で、恐ろしいことに真言宗の教義について不勉強なことも多い、誠に至らない僧です。大和先生のようなキリスト教・仏教に対して深い見識をお持ちの方の著書を評するなど、恐れ多いことでありますが、私の感じたことについて失礼ながら書きたいと思います。

この本はいくつかの特徴がある、と感じました。

第一は、第一章から第三章まで、とても分かり易い仏教の入門書であることです。仏陀や玄奘三蔵などについて、歴史や仏教説話に基づき解説がなされています。仏教の基本用語についても同様なことがいえます。たとえば三蔵などは、歴史書や物語にしばしば登場する歴史用語ですが意外に知られてない面があります。大和先生は「経はゴータマの悟り」「律は共同生活の規則」「論は注釈書」など初めて仏教書に接する人が読んでも、分かり易く説明されています。先生の仏教に対する深い理解がうかがえます。また六波羅蜜の実践を通して悟りの「智慧」の完成に至るのが仏教であり、それ故に仏教は修行に始まる宗教である、という言葉には、思わず首を縦に振りました。この本は仏教の起源から般若心経の本質に迫ろうとするものであるということがよくわかります。

第二は同じ第一章から第三章についてですが、優れたキリスト教入門書であります。キリスト教の根本が「神」「罪」「救い」というのはたいへん分かり易い言葉です。また、聖書についても旧約聖書、新約聖書について丁寧に説明がされています。仏教徒としてたいへん新鮮に感じたのは、仏典は開かれた聖典、聖書は閉じられた聖典、という言葉です。最初に触れたように真言宗にはたくさんの経典があります。その他法要のやり方を説明したもの、仏具の配置を指示したものなど元々経典に書かれていたものです。何の不思議もなく扱ってきましたが、びっくりしました。私がこの本で最も感動したのは八五頁です。「神の愛」という言葉は世界史や倫理学の教科書には頻出します。かつて高校の教員であった私は何の理解もなく授業で扱ってきました。人間の堕落が神に背を向け自分が神であると錯覚することで始まった。神はそれを救おうとキリストを人間界に送られた。真の神を憎悪する人間は、十字架にかけた。私はこの文章を読み「神の愛」にほんのわずか触れた気持ちがしました。私はキリスト教の結婚式に参加したとき、聖書の言葉を聞いたことがありましたが、この本に引用された言葉には新鮮さを感じました。「言葉は力」ということを十分学びました。なお、この部分に関し仏教経典の「懺悔(さんげ)の文」で「我昔より作る所の諸々の悪行(あくごう)は、皆無始の貪瞋癡(とんじんち)に由る身語意依り生ずる所なり(私はこれまで様々な過ちを犯してきました。それは計り知れない過去からの積み重ねてきた自らの『むさぼり』と『いかり』と『おろかさ」によるものであります(の意)」と言っています。キリスト教で言うところの「罪」の概念と近いとかんじました。

第三に本書は上質な般若心経の解説書です。第一章から第三章までの仏教の基礎知識に経っているのでたいへん分かり易い内容となっています。また、十二処十八界や五蘊、十二支縁起などは図解され、分かり易い解説がなされ、理解が格段に進むと思います。十二支縁起の分類は、思わず感じ入りました。我々真言宗での般若心経の解説は、もっぱら宗祖弘法大師著作の『般若心経秘鍵』によります。その中で弘法大師は、心経の心は「心呪」の意味だとし、密教の経典として位置づけています。当然のことながら、最初から難しい密教用語が並ぶことになります。私は学生時代総本山にて研修していた折、般若心経の授業も受けました。今回書評を書くにあたり、約四十年ぶりにそのときのノートを読み返しましたがちんぷんかんぷんでした。また、総本山智積院より配布された教化資料の中に般若心経の解説がありましたので読んでみましたが、同じようになかなか理解できませんでした。しかし、大和先生の著書を読んだあと、これらを読んでみるとノートの内容や教化資料とも、良く理解できました。先生の深い学識に驚いた次第です。また私の不勉強をたいへん恥じいった次第です。

先生は、仏教の「空」とキリスト教の「空」は全く違う、とおっしゃっております。仏教の「空」はまさに悟りの境地です。昨年、開創千二百年の四国八十八箇所霊場を檀家の人たちと遍路しました。本当は歩き遍路がいいのですが、時間と費用の関係でバスで廻りました。しかし、交通事情が格段に良くなって現代でも難所は存在します。四国八十八ヶ所二十四番最御崎寺は室戸岬突端。その急な崖の下にみむろ洞があります。弘法大師はそこで行を行い満願の日に明けの明星が口に飛び込み、悟りを開いた、と言われています。そこに寄った際こんな崖を毎日降りて登ったのか、と驚きました。洞窟の中から外を見たとき、目に入ったのは青い空と青い海でした。弘法大師空海はその様子を見て『空海』と名乗ったそうです。空海も天を見ていたとすれば、イエス・キリストの天上界と繋がっているかもしれません。

残念ながら、我々仏教とキリスト教はその教義上相当に違っています。しかし宗教は生きとし生けるものを幸せにする責務があることでは、同じであると思います。大和先生の限りない愛情を感じるときそれを一層自覚するものです。このような本に出会えた縁を大事にしたいと思います。最後に経文の最後にお唱えする普回向を持って終わりにしたいと思います。「願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを。」

20200518_01_02著者プロフィール

東京基督神学校、佛教大学大学院博士課程満期退学(仏教学研究科、文学修士)。日本印度学仏教学会員、日本思想史学会員、比較思想学会員、他。福音交友会・京都聖書教会牧師を 25年間務め、2009 年より福音交友会派遣教師として現職。

主な著訳書 : 新書判 『 牧師の読みとく般若心経 』(ヨベル、2015) 、『追憶と名言によるキリスト教入門 』(ヨベル、2012)、『牧師の読みとく般若心経』(ヨベル、2010)、『牧師が読みとく般若心経の謎』(実業之日本社、2007)、ヒュー・ケンプ著『世界の宗 教ガイドブック』監訳(いのちのことば社、2015)


主な目次
第一章 日本人はなぜ、「般若心経」を愛するのか?
第二章 キリスト教の「救い」と仏教の「覚り」
第三章 「智慧の完成」で、人は別人のように変わる
第四章 玄奘は「観自在菩薩」を、どうしても登場させたかった
第五章 「五蘊皆空」に迷う心
第六章 欲得を捨てて「諸法空相」の世界へ
第七章「縁起菩提」は救済と覚りへの道
第八章 掲帝掲帝の「マントラ」に込められた智慧
終 章 智慧の完成は修行であり、修行こそが完成である


【ゴータマ・ブッダのことば】
清らかな心に、幸せはついてくる
常に一番難しいことに挑め 「悪」の一滴は、いつか水瓶を満たす
自分を制する人が、本当の教師だ
他人の過失より、自分の過失を見よ


コラム】
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